LET OUR CHILDREN HEAR MUSIC

近藤大地氏の寄稿文

Another side of Let Our Children Hear Music

Jazz Pianist / Composer Daichi Kondo


 槌橋氏と私は「芸術的友人」である。  

 この「芸術的友人」の定義は、私が同時代に生きることが出来て幸せを感じると言った類の意味で、同じ価値観を芸術的に共有でき、更にその価値とは時を越えて普遍(或いは不変)のものである。  

 更に言うのならば、「芸術」という言葉の定義自体、私にとっては余りしっくり来るものではない。なぜなら、巷に流布している「芸術」というものは私が意味しているものとは遠く懸け離れており、「自己表現であると共に不変の美の追究であり、その表現者の極限的な誠実さが表出されたもの」ぐらいの定義の方が、私には納得がいくところのものである。  

 去る三月、私がプロデューサーをつとめる「Let Our Children Hear Music」に槌橋監督にご参加いただいた。それについて私が感じたことを比較的自由にこの場をお借りして述べようと思う。

(1)映画監督という人種

 槌橋氏は、そう呼ばれるのが天命であるという意味において、「映画監督」という人種であると私は思った。先ず、妥協という言葉を知らない。

 我々講師軍団は、ワークショップが終わるとそれぞれ気ままな時間を過ごす。バリーは部屋に閉じこもって鳩サブレを食い、リチャードはトランポリンに興じる。ルイスに至っては何をしているかも定かではない(多分メールチェックでもしているのだろうが・・・)。そして、私はと言えば、酒瓶を片手にうろうろと飲み歩く。断っておくが、私は特にのんべというわけではない。これも受講生のみなさんやボランティアスタッフ、通訳の方々と親睦を深めるために、プロデューサーとして必要不可欠の仕事であるからやっているに過ぎない。ところが映像班は違うのである。

 サロンでの宴会がそろそろ撤収か、という時間帯になると(だいたい深夜一時〜二時頃)映像班がどやどやとやってくる。「おっ、終わったか!一杯やろうや」とビールを差し出すと、それを飲みながらカップラーメンをすすり込み、「じゃ、また!」といってスタジオに戻る。察するに、彼らは明日の撮影についての会議を終えただけで、その日の映像や音源の整理はそれからする事になっていたのであろう。

 実際スタジオに行ってみると、壁にもたれかかって寝ているスタッフもいたが(主にボーヤのNM氏)、大半の人間はテープにラベリングをしていた。こんな事になっているのも、全ての映像をfixで撮るという監督の撮影方針のせいなのだが、他のスタッフ皆がその目的のために一心不乱に作業をこなしている。自分の健康状態や明日がどうなるかと言うことなどこの連中の頭にはない。「監督の望む映像」を具現することが大きな目的となっている。

 そして三時〜四時までその仕事をしたあと、彼らは短い眠りに入る。翌日寝坊するものがあると思いきや、当の監督は真っ先に起き、朝からすっかりハイテンションで撮影をこなしている。初日だけではない。連日がそうである。これは常人技では出来ない。

 第二に、監督という人種は非常に傲慢であると言うことが言える。皆さん、考えても見なさい。バリーやリチャードに「生まれる前と死んだあとを音にしてください。」なんて不躾なことを言える人間がこの世にいると思いますか。ジャズメンに向かって、「芸術とは何か」と正面切って聞く人間がいますか。最初の質問はまだ良いとしよう。我々は音楽がその仕事なのだから。しかし二つ目の質問はたまらない。私たちはただでさえ、言語化できないから音楽をやっているようなものなのに、「ジャズの化身」とでも言うべき、表現を変えるなら「生活や行動パターン全てがジャズ」である連中に向かって、そんなこと言語化できる訳がないじゃありませんか。あとで連中にブツブツ言われるこっちの身にもなってくださいよ、監督。

 第三に、人間関係などよりも「映像」が明確に上位に位置していると言うこと。自分のしでかしたことがそのあとどんな影響を与えようと、自分の望む映像のためには、万難を強引にでも排すことを厭わない。このエピソードはそのうち公開しますね。

 とにかく、映像のために全てを集約する、錐で一点にキリキリと食い込んでくるような、と言うよりも槌橋氏の場合、超強力で鋭敏な有無を言わせないドリルで切り込んでくるような集約性をもって、映像に取り組む、それが「映画監督」という人種なんだろうと痛感した。

 誤解を避けるために言っておくが、普段の氏は非常に繊細且つ人の気持ちを良く感じ取られる方である。この人は豪放磊落に見えて実のところ非常に優しい方である。道端に咲いている一輪の花にもその愛を注ぐようなタイプと思う 。

 が、である。しかしながら、である。映像に向かうと一己の「映画監督」に豹変する。 このような人間を間近で見られたことは非常に興味深かった。

(2)ジャズメンという人種

 「映画監督」とはまた違って強烈なのがジャズメンという人種である。特にこの稿では「ジャズの化身」二人について述べてみよう。

 この二人とは想像に違わずバリーとリチャードなのだが、先ずバリーに至っては、頭の天辺から爪の先まで「ジャズ」以外の何者でもない。この人は、ピアノの前にいったん座ったらごく自然にその指はジャズを奏で、多分誰も何も言わなければ死ぬまで座ってピアノを弾いているような人である。周りで何が起ころうと全く関係ない。ただピアノを弾いているだけである。彼がいかに「物の怪」であることは監督のエッセイか、この後に記載した、私の某雑誌に掲載された彼についての評論を読んでいただくことにして、バリーとはそんな人なのである。

  リチャードは普段は気のいい紳士である。しかし、いったんベースを弾き出すと・・・!彼の心の底にあるマグマがすさまじい勢いで噴出し、そこの音楽空間が彼のセントラルドグマで染められてしまう、そんな恐ろしい演奏をする人である。ちなみに、私のトリオは、ルイスがいなければ滅茶苦茶になってしまうだろう。彼のおかげで、私とリチャードは現世とかろうじて関わり合いを持っていられるようなものなのである。

  彼らは、出てくる音に対して固定観念を一切持たない。「Life is music.」であり、演奏すること即ち生きることなのである。何か変化があっても、その変化に即座に対応する。当初の結論と最終的なものが異なってしまっても、「へっへっへー」と言うだけで、流転を楽しむ。まさに人生そのものである。またその流転の結果、遙か時空の彼方に飛んでいってしまうことも決して珍しくない。  

  集約性と解放性、これがこの二つの人種の違いか、と思う。しかしよく考えてみると時空から遙か彼方に開放されるために集約性を求めている人種と、解放性を認識しながら最終的に無意識の奥底まで入っていく人種がいるだけで、極限まで行ってしまったらどちらも同じものが見えるのだろうと気がついた。要は同じ人種である。    

  ここで、私の某雑誌に掲載されたバリーについての評論を原文のまま転載しようと思う。タイトルを付けるのなら、「Fukai Aijyo - Deep Love」だろうと思う。  

 バリーはジャズメンである。たった一人で小さいスーツケースを抱え、心持ち片足を曳きずりながらニューヨークからやって来る。そしてそのごつごつとした手から紡ぎ出される音は、この世のものとは思えない。何もかもを超越した音がどんなピアノからでも奏でられる。  

 今回のツアーでは、バックにリチャード・デイビス、ルイス・ナッシュを従え、山口県萩市の老舗「Village」における20周年記念コンサート、及び秋吉台国際芸術村でのワークショップ+コンサートを行った。  

 「心から出ず。願わくば再び心に至らんことを。」彼の音は彼の心から出て、私たちの心にさりげなく、しかし確固たる響きを持って滲み込んでくる。私の言葉ではその音を決して表現できないし、どんな録音機材を持ってしてもこの音は捉えられないだろう。だから私は全ての人に言いたい。どんな形でもよいから、彼の音を聞いて欲しい。こんな音を奏でられるのは彼以外に考えられない。バド・パウエル、セロニアス・モンクと続いたジャズそのものの響きがそこにはある。彼の73年の人生そのものがその音に充満している。この音は現代の貴重な、たおやかなかつ暖かいモ二ュメントである。

 それだけではない。わたしが言うのも烏滸がましいとは思うが、彼の音楽は進化し続けている。そして今年の演奏は、その音楽が決して大げさではなくこの世を超越した域に到達したことを、私ははっきりと感じた。それでも彼は週一回、クラシックピアノのレッスンを受け続けている。  

 私は彼の音を聞くといつも心が揺さぶられる。彼の音楽の根底にあるものは「Deep Love」である。生命に対して、音楽に対して、私たちに対して、そしてジャズに対して。秋吉台国際芸術村で子どもたちに音楽を教えている時でもそれは全く変わることはない。Villageの店内いっぱいに、そして芸術村のセミナーホール、コンサートホールいっぱいに彼の音が響き渡るとき、その空間は私たちの日常の空間と、温度が一変するのを感じる。彼の音がその空間を別のものへと変えているのだ。  

 親愛なるリチャードとルイスの演奏は言うまでもなく素晴らしかった。このメンバーでのトリオが実現できるのはおそらく地球上でここだけだろうと思う。 

 いつ頃からか、バリーは、私のことを「Daichi-san」と日本流の敬称を付けて呼んでくれるようになった。だから私も「バリーさん」と呼んでいる。そう呼ぶと、いつも彼はとても楽しそうに笑ってくれる。彼と同時代に生きることができ、その音を聞くことができ、そして自分のことを認識してくれていることに、私はこの上ない幸せを感じる。    

 また来年も、バリーは小さなスーツケースを抱えて、一人でやって来るだろう。  

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(3)始まりの終わりに

 先日、監督から、昨年のコンサートの記録映画のラフを送っていただいた。端的に言うのなら、今まで音楽映像記録映画上でもっとも私が誠実さを感じたものであった。編集方針は、私が考えるに、「音楽的必然と映像的必然を一致させる」事だと思うのだが、自分たちの演奏について新たに気付かされる面が多く有り(ちなみに私は大概の音楽映像は映像を見ないで音だけを聞く。なぜなら演奏者の苦悶の表情など私には興味ないからだ。

 それどころか、人間はきわめて視覚的な動物であると言うことを認識しているのでそのような映像に音楽が妨げられるのが極めて耐え難いからである)、最後まで興味を持って見続けることが出来た。それと共に、多くの人にこの映像を見て欲しいと思った。自慢じゃないが、私は自分の映像を見るのは嫌いである。その私がこんな事を言うのは今後ないと思う。

 私のワークショップについての監督のエッセイもしっかり読ませていただいている。監督の文章は大好きであり、考えてみれば、音楽はその抽象性という意味では非常に長命な表現形態だが、客観性、一般性については文章に及ばない(ジャン・クリストフを現代の人間が読んでその内容が的確に伝わらないことはほぼないと思うが、シューマンの幻想曲はそうはいかないだろう)。そのような状況で寄稿することにはかなりの恐怖がある。

 この三月にはDaichi Trioで日本ツアーをし、その後また「Let Our Children Hear Music」を開催するので、この文章で我々ジャズメンを判断せずに、是非、足を運んで音を聞いていただけたら、と願わずにはいられない。

  監督、記録映画の出来上がりを全く焦らずに待っています。 また一杯やりながら放言しましょう。    


2003年1月初頭
近藤 大地  
 

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