INTERVIEW Director
★ ではまず、映像、そして色についてお聞きしたいと思います。
槌橋監督(以下MT)◆この映画の多くの部分は白黒なのですが、それはなぜかというと、白黒 映画を見ているとき、人は無意識に白黒の中に自分で色をクリエイトしているので、そのような観客の創造的な活動が映画に必要な、重要な要素であると考えたからです。
全ての芸術は、作品を創る者と見る人間とが共同して制作するものですので。
それから、響子と峻一というのは個人的な存在ではなく、「人間」という生き物のエセンシャルな部分を総括する象徴のようなものとして設定されていていたので、雑多な色彩がない白黒のほうがより直接的に観客の感覚と精神に働きかけて、人間の本質が具体的に見えるのではないかと考えたからです。
観客の精神に届く力という観点からすれば、白黒のほうがカラーよりリアルです。カラーフィルムの色は、現実の色とは違う化学色素で表された嘘の色でしかなく、白黒の画面にこそ、人は自分で創造した本当の色を見ているのです。
★カラーの映像が挿入されているのはどういう意味があるのですか。
MT◆カラー映像は、直接、身体的知覚に働きかけて、世界にある豊かさというものを具体的に提示します。しかもその色は本当の色ではないので、生きていく上での人間の限界と不自由さも観客に認知させるのです。豊かさと限界の二つを同時に見せてくれるカラーも映画には必要な要素だと考えます。
映画の最後で主人公の二人はカラーで示されます。その時彼らは抽象的な「シンボル」としての人間ではなくて、実際に生きている人間、「実在としての人間」として受肉した存在になるのです。彼らはそれまで(カラーになるまで)実在していなかった。肉体を持った不自由な人間の生というものをあり方を肯定して、初めて本当の生を生き始めたのです。
★ 音楽に関してはどうですか。
MT◆音楽は、最小限に抑えました。サウンド・トラックというのは観客に対して抑圧的に働く部分があると思います。彼らに必要以上の限定的イメージを無理やり強要している感があるからです。そもそも音楽は映像のない映画なのです。余計なサウンド・トラックは、観客に同時に二本の映画を見せようとしているようなものです。
この映画ではセリフ自体が音楽だというコンセプトがあります。役者が主旋律を奏でていて、その背景に通奏低音として自然の音、実音が流れていて、その全体が音楽であると考えるのです。だから基本的には余計な音楽は必要ありません。演出上、絶対的に音楽によってイメージを喚起させる必要があるところ以外は、徹底的に無駄な音楽は削ぎ落としました。
★ この映画では死とか生という、人間の根本的な問題を熱くならずに
クールにそれを表現できていると思います。
そう語らせた理由はどこにあったのでしょう?
MT◆本当のところ、この映画の物語は非常に情緒的な話、痴情沙汰で、究極のラブストーリーなのですが、それをストレートに表現しては格好悪い。この映画は同時に究極のハードボイルドのつもりなので、そういう情緒的なことはできるだけ表さないようにしようと思ったのです。
まずは、愛情なり憎しみなり、感情的なことをすべて論理的に語る、理性で語るという風に変えようと考えたのです。それに、近年物事を思弁的に語るということが忌避されていて、思索的活動が侮蔑される傾向にあって、特に映画ではそのような表現は絶対的に排除されます。
これは映画というメディア全体を支配しているファシズムなのです。もっと映画は自由であってもいいのではないでしょうか。世界的な批判を受けることを覚悟の上で、映画を徹底的に自由にしようという意図で、敢えてあのような言葉で語らせたのです。
スーザン・ソンタグは、このような時代だからこそ、複雑なことを安直にわかりやすくしないで、はっきりと明確に語るということが必要であると言っています。ふさわしい内容にふさわしい言葉というものがあると思います。
私は、含まれている内容をいかに明確に表現するかということ、欺瞞やあいまいさを持たせずに、絶対に嘘がなく、限りなく誠実であるように、ということを心がけたのです。
★ なぜ今回のようなテーマを選んだのでしょうか。
MT◆人間の最も本質的な問題ですから。自死する人は生きる必然性が見当たらないのです。人間はなぜ生きているのでしょう。環境破壊もあれば、戦争も殺人もする、こんなむちゃくちゃな生命体がなぜ存続しつづける必要があるのかという、絶対的な必然性は簡単には見つかりません。
私は、人間が生きる必然性は前提として与えられていないと思います。それは自ら創造する以外にはないのです。それが私たちが生きるということの目的なのです。
この映画は存在理由の不確かな人間をいかに肯定するのかという、ひとつの方法論を提示しているのです。そのようなことが、アーティストの第一の使命だと考えるからです。
★ では、これからのことをお聞きしましょう。今後の展望は?
MT◆そうですね。論文に例えると、この映画は第一章の総論で、これから始まるいくつもの物語のプロローグになっています。これからは各論になって行くでしょう。個別的なテーマ、一個人の抱えるそれぞれの問題について考えていく作品になります。
映画的方法論の基本姿勢は変わりませんが、試してみたいこともいくつか思いついているので、そうした探求はまだ続けていきたいと思っています。
考えているテーマは、笑いもあるし、戦争もあるし、子供の話もあります。 芸術家はどう生きるべきなのか、とか、文化の全体性を構築する、などというのもあります。
現実化するかどうかはわかりませんが…。
*Interviewer 碓井 涼子(映像研究家)
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